ぼちぼちいこか

虎ファン主婦のひとりごと。
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世の中の真理
以前「犬と話をつけるには」という本の感想を書いたが、
その本の中で印象に残った言葉があった。
著者の大学時代の恩師の言葉として紹介されていた。

「世の中の真理は常に少数派にある」

真理が何であるのか、わからないことがほとんどだけれど、
確かにそれは少数派にあるような、そんな気がする。
きっと、多数派にはあるのは現実で、現実は真実ではない気がする。

真理というものがわかったと思えることなどないとは思うが、
せめて少数派に身を置くことのできる人間でありたいと思っている。
yui | 平和・いのち | 19:37 | comments(2) | trackbacks(1) |

yui @ 2006/10/26 9:35 AM
>猫丸さんへ
TBありがとうございます。
私のほうこそ、猫丸さんのブログの「人生の真実」をきっかけに、
いろいろと考えさせられまして、上記の記事になりました。
ありがとうございます^^

>言葉通りの意味ではなく、少数派に目を向けることの大切さや目を向けないことの危さを、伝えたいのではないかと勝手に読み取りました。

前後の文章からもおっしゃるとおりです。
まるでお読みになったかのよう。(笑)
目を向けないことの危うさ、まさに、そこに自分の危うさを感じます。
少し大きく、また重たく、あえて「身を置くこと」を目標に掲げてみました。

猫丸 @ 2006/10/26 12:53 AM
 酒の話ばっかり書いておりましたが、多和田悟さんの恩師の言葉にインスパイアされまして、TBさせていただきました。
 本を読んでいないのになんなんですが、「世の中の真理は常に少数派にある」というのは、言葉通りの意味ではなく、少数派に目を向けることの大切さや目を向けないことの危さを、伝えたいのではないかと勝手に読み取りました。
 同時にわが師の言葉、「なぜ、どうして」を思い出したものです。

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なぜ、どうして?(真理の探求) (ノラ猫の老後 @ 2006/10/26 12:47 AM)
 「なぜ、どうして」という問いかけは、学生時代の先生から研究に取り組む姿勢として、再三、言って聞かされた言葉。  研究とは、新しい真理を見出すこと。既知の情報を単に整理し編集するだけの行為とは異なる。新しい真理を導き出すことは簡単ではないし、常識や