8月に、一つは「平和・いのち」のカテゴリで記事を書こうと思っていたが、
今年はそれができなかった。
書きかけて消したのもあったし、うまく文章にできないモヤモヤがあった。
それが先日フッと解けた。
キーワードは「感性と想像力」。
うちの地域にも「9条を守る会」なるものがあって、
戦争体験を聞く会などが行われたりしているが、集まるのは高齢者がほとんど。
私などが参加すると目立ってしまうという雰囲気だ。
企画運営しているのもそれなりのお年の方々が多く、会の内容は正直堅い。
とても友達を誘おうと思えない感じの企画が多い。
そんな現実に、これに何の意味があるんだろうと思ってしまった。
63年前の話を聞いて、今がまさに戦前であるという危機感が持てるだろうかと。
63年前の戦争と今これから行われるであろう戦争は、きっと形が違うだろう。
食糧難にもならず、痛みを感じずに他国を侵略する戦争がおこりうる。
メディア操作で、それに気づかないということさえおこりうる。
夏休み中、近所の子どもたちと交流する機会があったが、
小中学生に平和の大切さを伝えるというのは難しかった。
戦争の絵本を広げてもリアル感がない。
彼らは彼らで、自分を取り巻く学校や家庭の問題でいっぱいいっぱいな気がした。
どこかのブログで読んだのだけれど、
今、若い世代の人たちに戦争と平和について語るとき、
「平和」「憲法9条」「守る」などはNGワードなのだという。
そういう言葉を出せば、堅い、古くさいと思われて聞いてもらいづらいらしい。
なるほどと思わされた一方で、どうすればいいのだろうとも思った。
そんな中で、
今こそ私たちの感性と想像力が問われている、という言葉は印象的だった。
そうか、感じられない、想像できないのは自分だったのか、と。
自分が感じずして想像せずして、どうして誰かに伝えられるだろう。
そんなことに、気づかされた。
感じとって想像していくこと。
結局、平和ってそういうことなんだと思う。
目の前の人を、周りの人々を、そして見えない所の人々まで、いかに感じるか。
それを想像していけば、戦争なんて起こらないのだ。
それが平和の根本なんだと思う。
日本人は感性と想像力が欠如してきているのかもしれない。
という私も、その一人。
もう一度、考え直さなきゃなと思った。
そして、人を許すことができずして平和なんて考えられないなぁとも思った。