ぼちぼちいこか

虎ファン主婦のひとりごと。
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思いを新たに
被災地は、驚くべき光景の連続。
写真も撮る気がしなかった。

依然、瓦礫が山積みのままのところもあれば、
街があって暮らしがあったことが想像できないくらい、がらーんとした地も。
それが延々と続く。

でも、海は穏やかで、嘘のようにきれいだった。
多くの命をのみこんでいった海とは思えないくらい。

報道に見る被災地はほんの一側面であり、現実はもっと残酷だと、
こんな私でさえも、痛いほどに感じられた。
「がんばろう!日本」なんて、あまりにも温度差がありすぎると。


被災地に持っていく救援物資を送ってとお願いをした友人の一人から、
「岩手は救援物資が潤沢にあること知らないの?」と返信がきた。
大阪では、岩手は物資が潤沢にあるので物資の受け付けを休止中だという。
岩手にどれだけの救援物資が届いて(滞って)いるのか知らないが、
被災者に行き届いているとは思えない現実が、今、目の前にある。

友人は「息の長い支援に個人では限界があると思う」と忠告もしてくれた。
個人ではなく小さな民間団体に協力しているだけなんだけど、
友人が言おうとしていることは、行政がやることでは?ということだ。

でも、行政にできないこと、民間だからできることだってある。
行政は大きく動ける分、個々のニーズに沿う支援などは難しい側面がある。
また、どうしても支援の手が届かない被災者だって生まれる。
それは仕方がないことで、だからこそ、民間の力だって必要なのだ。

そして「限界がある」という言葉。
気持ちはわからないでもない。
私の身を案じてくれての言葉だったと思う。
けれど、被災してない私たちが限界を感じたら被災者は終わってしまう。
そんな内容のメールをしたら、
彼女は「できることをやるしかないね!」と、快く協力をしてくれた。

そんなこんなで色々あったけれど、涙腺がゆるみっぱなしの今日この頃。
メールした友人は数名だったのに、うちには玄関がふさがるほどの物資が届き、
違う意味で驚いた。
みんなが少しずつ協力してくれれば・・・という私の期待は、
驚くほどに裏切られ(苦笑)、本当に頭が下がった。
どうやって買ったんだろうと思うほどたくさんの食料を送ってくれた友人や
靴を一人で30足も買って送ってくれた友人、
また、ご近所さんに声をかけて集めました!と送ってくれた友人もいた。

正直、私が逆の立場だったら、ここまでできないだろうと思ったし、
こんなことができる友人が自分の周りにたくさんいるということに感動して、
嬉しくて、私はとても幸せな人生だとつくづく思った。

もうこんな震災に遭うのはこりごりだと思っていたけれど、
その中で見つけた大きな喜びと感謝。
今、自分が、多くの友人の愛に押し出されて前に進めているように、
これらの救援物資が届くことで、
被災地の方が少しでも前に進む力につながればいいなと願っている。
yui | 震災関連 | 02:34 | comments(2) | - |

ぼちぼちモード
震災から3週間が過ぎ、気づけば4月。
早かったような長かったような...

うちの辺りは、今週半ばくらいから燃料不足が解消され、
ガソリン・灯油は並ばずに買えるようになりました。(満タンもOKに!)
スーパーには、牛乳やもやしといった生鮮食品も少し並ぶようになり、
品薄ではありますが、不自由さはずいぶん解消されました。

ただ、精神的には、この一週間が一番しんどかった気がします。

地震直後は「非日常」の緊張感の中で、やや興奮気味に過ごし、
「今できることを頑張ろう!」という前向きな思いで過ごしていましたが、
時間が経つにつれ、身近な人からも沿岸の現状を見聞きするようになって、
津波の脅威や爪痕の大きさを、身近にそしてリアルに感じ、
安易に復興だの頑張ろうだのと言えない…そんな気持ちが膨らみました。

火葬が間に合わず、一部地域では土葬が現実化している現状にも、
今回が「阪神とは比較にならない震災」なんだということを思い知らされ、
その上、原発事故も重なっている現状で、
この先一体どうなっていくのかと、不安というか苛立ちも膨らみました。

前向きな気持ちと沈む気持ちが入り交じる複雑な中、私自身の生活はと言うと、
震災の「尾ひれ」のような雑用が増えました。
例えば、あまり話をしたことのない夫の知人や親戚との会話(電話)とか、
郵便の回復によって届きだしたお見舞い手紙へのお礼状書きとか。
この十数日で1年分に相当するくらいの人づきあいをした気がします(苦笑)

そういうつきあいの中で、温度差を感じる場面も色々あったりして、
でも、多くの人に心配してもらって、心を合わせてもらっているんだから
感謝しなきゃ、がんばらなきゃと自分に鞭を打ってやっていましたが、
徐々に調子が上がらなくなり、ここ数日不調気味に。

で、ようやく我に返りました。

私はうつ病で休養中だったんだと。
がんばってたらダメじゃないか、もっといい加減に過ごさなきゃと。
(遅っ!ってつっこまれそうですが^^;)

こんな状況のわりには上手くやってるんじゃない?と、
夫からはめずらしく高評価をもらったのですが(苦笑)、
震災で「がんばらなきゃモード」が高まっていたことを少し反省して、
今「ぼちぼちモード」に戻しています。
まぁ何てことない、明日でいいことは明日に…っていうモードです(笑)

で、気づいたこと。
今「がんばろう」「がんばって」連発のテレビが多いこと多いこと。
テレビに限らず、スーパーや街角、新聞などでも同様。

がんばりたい人ががんばる分には全然構わないけれど、
応援や励ましの言葉に囲まれるのって、うつ病の人にはよくないよなぁと。
何かがんばってなきゃいけない雰囲気がして。

「何かしたい」という、多くの人が今持っている善意の気持ちを、
誤解なく届けられる言葉って何なんでしょうか。。。
むずかしいですね。
yui | 震災関連 | 00:15 | comments(3) | - |